事実とコンテキストについて

これは某所に提出したレポートです。以下、本文。

事実は各個人のコンテキストのうえで支持され合意の上で成り立っている。

コンテキストについて

各個人のコンテキストとは、端的に述べると各個人の今まで生きてきた人生そのものである。 それらコンテキストはさまざまな影響を受け、一つとして同じものはない。

たとえばリンゴを見たときに、コンピュータメーカーを連想するか、近所のパン屋のパイを連想するか人によって異なる。 では質量とエネルギーの等価性(E=mc^2)やピタゴラスの定理(c^2=a^2+b^2)はどうだろうか。さらにいうと「いろは」の次は何か、と問われれば同じ回答をする割合に有意な差がみられるであろう。 母集団も同様で、これが日本だったら、フランスだったら、同じ問いに対して回答が異なるのは容易に想像できる。

これらは専門知識、因習、文化、宗教など様々に呼ばれているが、つまりこれがコンテキストであり、 上記のとおりコンテキストには通じる集団の大小があり、それは通じる範囲の大小によって階層状になる。

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ある人が海外旅行にいったとしよう。 彼は文化が異なる地域があることを知り、違いにとまどいながらも、そういう文化もあるのかと理解していく。 このとき何がおこったのだろうか。 彼はまず自身のコンテキストにそって行動をしようとする。 その結果、うまくいくこともあれば、文化の違いによってうまくいかないこともある。 彼に合理性があれば、何故うまくいかなかったのだろうと、結果から理由を考える。 そして文化の違い、つまり違うコンテキストが存在したことを知り、 結果として、違うコンテキストが存在するのだということを知る。

ここで彼のコンテキストのある階層は、そのコンテキストは固定化された同一のものではなく、地域性を帯びたコンテキストに分割される。 そしてその上層にそれらを地域によって選択的に判断できるコンテキストの層が形成される。 一般的に、彼は知識を手にいれたことにより思考の柔軟性が増したといえる。

彼のさらに上層のコンテキストについて考える。 彼はある国のある地域に住んでおり、母国語で考え喋る。 これらのコンテキストは上記の経験によって何が変わるだろうか。

たとえば海外旅行で別の文化にふれたからといって母国語が変わるだろうか。 つまり一部には変化はあるだろうが、全体としてみると変化は軽微なものになるであろう。 よってコンテキスト全体としては、以前として安定している状態であろう。

これらのことから、各個人のコンテキストは同一のものではないが、大体について通じると思われている範囲が階層状に存在する。 そして、ある出来事は、認知され階層の一部について変化をあたえることもあるが、全体としては既存のコンテキストに組み入れられ、 コンテキストの階層構造は安定したままになるといえる。

事実について

事実とは、あるコンテキストの層で意味あるものとして選択的に支持されたものとみなせる。 事実は、科学的に合意されたものや宗教的に合意されたものなど様々なものが考えられるが、ここでは科学的なものについて考える。

科学的な事実は、ある者がある現象を認知し、それを他の者が確認をし、確からしいという合意のうえで支持され形成される。 確かかどうかの確認は、一般に再現性があるかどうかで判断される。

科学的な事実が形成される以前は、その現象は存在しなかったのだろうか。 現象自体は存在していたが無視や忘却されていたか、別のコンテキストの層の事実として合意されていたと考えられる。

たとえば盆地で遭難が多く発生しており、それを祟りと伝承されていたが、調べてみたらガスが滞留する地理的な構造になっていたといったものである。

このとき関連するコンテキストの層のあいだでは事実が移動し、それにともなって構造が変化し、 結果的に、新たに判明した事実はどこかのコンテキストに組み入れられる。

ではそもそも、なぜ事実を支持するのか。 無数の事実候補の存在に対して、事実と認めるものは何が違うのか。

事実を認めるとコストが下げられるためと考える。

ここでのコストとは、代表的なものとして時間的なコストや認知的なコストがある。 人は生物という分類のなかにあり、寿命があり、いつか死ぬ。 あるコンテキストではこれは支持される事実であろうが、 そのコンテキストでは、時間という概念が存在し、よって人の時間は多寡はあれど有限なものである。

その有限な時間のなかで、確からしいと認められたものを事実と認めると、 その背景にあるコンテキストを、あるコンテキストの層を共有する人が自身のコンテキストに効率的に組み入れることができる。

具体的な行動の一例として勉強というものがある。 得られた事実はそれが形成されるまでの時間を背景としてもち、また多くの場合一意的な名称があたえられるので、 時間的なコストや認知的なコストを、それ以前に比べ、下げることができ、 またその事実の一意性によって、それをコンテキストのなかで合意がされたものとして有益に用いることができるようになる。

この事実の認知、組み入れはコンテキストの各階層において発生しており、恣意的にこれをおこなうことを教育ということができる。

なぜコンテキストを形成するか

これは言いかえると、なぜ勉強するのか、なぜ経験するのか、さらにいうとなぜ生きるのかの議論になるだろう。 一つの仮説を挙げるのであれば、生存のために有利であるからである。次の瞬間に存在が消えてなくなるのであれば、事実にどんな意味があるだろうか。

いきのこるには

この記事は 「フリーランス残酷物語 Advent Calendar 2016」 11日目の記事です。 長いです。

わたしはだれ?

フリーランスのエンジニアの一人で、上から下まで幅広くお手伝いさせていただき5年ほど生き残っています。 最近はWebアプリケーションから離れ、一段階下の層あたりで活動しており、ラムダアーキテクチャの方を向いています。 機械学習のほうも単価が良いそうなのでそちらも向きたいなと準備をしているところです。 お金が好きです。

フリーランスってなんだっけ?

フリーランス、これ自体はいろいろな捉え方ができるものですが、 わたし自身をフリーランスとして解釈したとき、専門家であることが第一義であると思っています。

知っていること、と言いかえてもいいです。

たとえば、プロジェクトを進めるのには必要な知識は非常に種類が多いですが、それらを知っている。 一つ一つを説明しないで済む。 さらに言えば不明なところを聞けば答えてくれたり、議論を展開できる。 結果として、プロジェクトの成功の確率を上げることができる。

これがフリーランスに求められていることというのは同意いただけると思います。

知るを知る

そこでまず大事なのは、何よりも知。 知識や知恵です。

知は、書籍を読んだり、手を動かして試したり、もちろんプロジェクトを遂行することで育てることができます。 手段にバリエーションがあればあるほど普遍的な知を手に入れられる確率があがります。

フリーランスは全ての裁量をもてるので、それらへのリソースの割り当てを全てコントロールし、 自身が思い描くなかでのもっとも良い戦略を練りあげて実行していくことができます。

特長として、複数の企業の複数のプロジェクトに同時並列に参加することができるので、 価値観の異なる人や文化、 コードベースを同時に比べながら知ることができる。 これは一つの企業の中に存在する専門家に対しても有利な点です。 もちろんNDAを結んでいるので他に話すことはありませんが個人のなかには比較的普遍な知が蓄積していきます。

ジョブホッパーや、さらにいうなら複数の顧客を持つ士業の方々と似た性質を持つ存在といえなくもありません。

しかしながらそんなスーパーマンのようなフリーランサーは実在するのでしょうか。

実在します。それはわたしです。

と胸を張って言えればいいのですが、そんなに人生甘くはないです。残酷ですネ。

ただ経験の年数が増えれば増えるほど、関係先が増えるほど、知は蓄積していくのは実感としてたしかにあり、 そうすると知っているものと知らないものの境界線がはっきりしてきます。

漠然とした問題から性質を見いだし、数値化し、それに対して解決策をひねりだすのがエンジニアです。 知るものと知らないものの境界がわかれば、知らないものを明らかにして、 それを知るものに変換するのは比較的楽なことではないでしょうか。

専門家に近づけていればいいなぁと思う毎日です。

多くを知る

わたしの多くはないエンジニア人生のなかで、先輩エンジニアの方々から折にふれ聞かされてきた話に、 専門家は分かるものは分かり、分からないものは分からないと言えることが重要だが、 それ以上に専門の話題を普通の人に伝えたり、専門家と専門家の間を繋ぐ役割が重要だ。というのがあります。

ようは異なる文化圏のあいだを取りもつ存在になれといわれていた、と理解しています。 翻訳者が重宝されるのと同じですね。

これは実はフリーランスがとりやすい戦略の一つで、本当に一つのことを極めている専門家には勝てるほど知を持てていなくても、 複数の文化圏や分野に根をはることで役に立てる役割はある。 複数の分野を知っていれば呼ばれる確率はあがるし、複数の分野の間をつなぐことができれば無二の価値を提供できる。

そんなことをよく言われてたような気がします。

撤退戦略

さて、そんないい話風なこともありますが、現実問題、何もかも合わない消耗するだけのプロジェクトはあります。

ダメなときはダメです。

要因はさまざまで、絶対的にスキルが足りてなかったり、文化圏が違いすぎてコミュニケーションが不可能だったり、 単にタイミングが悪くてキャッチアップが失敗したり。

これらは防ぐことはできるのか、そんなことをよく考えています。 現状はあまりよい答えは見つかっていません。

早めに撤退するのは有効な選択肢です。正常な判断がつくうちに行動にでましょう。 (他にはアジャイルとかリーンとか、そういう現場は逆にこういった状況に落ちいりにくい傾向があります)

確実ではないですが、いくつか経験的に効果がある時点や方法がいくつかあり、 最初はやはりプロジェクトを始める前というタイミングです。

プロジェクトが始まると途中でやめにするのはお互いにコストがかかるので、 そもそも始めるまえにコミュニケーションを密にとり共通の文脈を形成する。 形成できないようならば参加そのものすら白紙に戻すことも検討の範囲にいれておきます。

既に文化が形成されているところに途中から合流するなど事前に十分の時間がとれないときは 先方の担当者にその不安やリスクをあらかじめ伝えておきます。 そして参加後、短期の間隔でいくつかのマイルストーンを設定しておき、 そのたびこのまま進めることができるのか、改善の方法はあるのかを振り返ります。

それでも、やっぱりダメなときはあります。そのときはきっぱりと早めに担当者にダメだったと伝えます。 密に状態を共有しておけば、ダメだったときも言いやすいはずです。

これに効く仕組みとして試用期間があります。 試用期間は顧客側の視点でよく語られますが、実はフリーランスからも合わないプロジェクトから離れるときに利用できるすばらしいものです。 契約に盛り込めるときは入れることも検討する価値があります。

ほかは、契約期間を3ヶ月など短期間で始めたり、契約の内容から実作業がそれ始めたときに効く誠実協議条項:

本契約の規定に関する疑義又はこれらの規定に定めのない事項については、 甲乙誠意をもって協議の上、解決するものとする。

を入れます。協議のうえで、残念ながらまとまらないでお互いに消耗するだけのときは、 その時点で契約解除の申し出をできる余地を残します。

本来ならこれらのテクニックを駆使しなくてもプロジェクトを進められるのが理想なのは変わりありません。 ただし、 どうしようもなくなったときに撤退もできなくなる最悪の事態を避ける方法は知っておいたほうがよいでしょう。

フリーランスは駆動系の並列度が1なので停止イコール収入なし。体調および精神の状況には十分気をつけていきましょう。

いきのこる

10年もエンジニアをやっていると、さまざまな変化があります。 流行の繰り返しパターンがみえてきたり、低空飛行をしいられるときもあったり、 疲れすぎて動けなくなることもありました。正直ダメだったときの後悔のほうが鮮明に覚えています。

それでも続けていく、生きていくのが大事です。

着陸してメンテしてもいい。なにやるのも自由。自分で決められる。 それがフリーランスの強みです。

人生はゼロ和ゲームではありません。生きているかぎりスコアの延ばせる非ゼロ和ゲームです。 自分の意思で、ときに協力して生き残れれば勝ち。 そんな気概で今日もコード書いています。

ゲーム理論で思いだしましたがフリーランスこそコミュニケーションが大事だと思っています。 意識的に群れることを検討するのもよいでしょう。わたしの連絡先はここです。 Facebook Twitter

手作り結婚指輪 作成記

先日、といっても結構前だけども結婚10周年を機に結婚指輪を作ったので、そのときのことを記す。 書く気になったというやつだ。

経緯

そもそも結婚当初指輪いらないよねという私の思いを暗に汲んでくれていたのか、はたまた若かったからか指輪を作らなかった。

長男が生まれる前後くらいに、一度指輪作成の熱が起き、そのときは店をいくつか回ったのだけれども、 そのときはそもそも指輪つけるとどう生活に影響するのかが不明だったので冒険できず、 結局、銀で指輪をクラフトし生活のなかでどうなるのかを試すことになった。

プロトタイプというやつだ。

このときは工房のコースで二人分でお願いして講習と素材などコミコミで1万円しなかったかな。

そして今年

今年の結婚記念日あたりに指輪作らないかという気圧を感じる日々を過ごしていて、まあやるかという気になったので、 前回と同じ工房で正式な指輪を作ることにした。

デザインや素材の検討は口頭では何度かあったものの、結局のところお互いに相手と合わせなくてもいいよねというところに落ちつき、 主に私がそういう気持ちだったけど、それぞれ好きな指輪をクラフトすることになった。

私がプラチナで妻はイエローゴールドを素材に選び、一緒に半日くらい工房に入り作った。

なぜ店で買うのではなくクラフトにしたのか。 理由はおおきく2つあり、まず店でみたときに、金額の基準が高いわりにただそれほどデザインが気にいるものがなかった。 月収3ヶ月分神話とかも、まあ文化としてはあるところにはあるんだろうなと思ったけど、しっくりこなかった。 また単に作ってみたかった、作ってみたら自分の好きなデザインを 持てる技術の範囲で 作れることが楽しかった。 指輪のサイズも自分で好きに調整できるので、はめてみて狭いなと思ったらハンマーで叩けばその場で広くすることができるのはシンプルで快適だった。

単純な理由だけども結果としてお互いに満足するものができた。 プログラミングするときの運指でも気にならない指輪になったので外す時間が少なくなったのは自分のことながら驚いた。

今回はコミコミで12万円ほど。 ピンとこなかったけども妻からほぼ原価と説明され、ブランドやデザイン料などがないと、まあ安くなるものだなと思った。

写真をとられた日

以前からの要望事項であった家族写真をとってきた。 スタジオで写真をとられるのはもしかして人生初じゃないかしら。

写真をとられることで分かったことがある。 自然な構図というのは人体には不自然であるということ。 スナップでとられたりということは人生で何度もあったけど、何か写真としてはしっくりこないな、 世間で写真として伝播されてくる情報とは違いがあるなとは思っていたけれども、 そもそも写真のためのポーズというのがあることに驚いた。

逆に考えると、Facebookとかに上げられている構図が整った写真って、みんなそれを意識してポーズとってるのね。 飲み会でーす。いぇーい。とかいう人達もカメラを向いてはいポーズ。 真面目な顔して思索にふけってるかのような人も意識してポーズ。 ウケる。

プロの華麗なダンスの裏側には日頃の練習がとか、湖を優雅に泳ぐ白鳥も水面下では水掻きをバタバタさせてるとかと 同じ次元のことがこんなところにもあったとは思わなかった。

プログラマがインターフェースに合わせて何とか実装を作りこむのとあんまり変わらんですね。はい。

あと子供向けのスタジオでは子供の喜ぶツボを心得ているということも興味深かった。

写真館のビジネスモデル

サンプリング数が少ないので相場はまだ知らない。

今回お願いしたのはカメラのキタムラが運営するスタジオマリオというところだったのだけれども、 撮影は1回固定で3,000円(およそ30回のシャッター)、あとは印刷やキーホルダーなどのアイテム作成でそれぞれいくら、 また商品として購入したもの限定でROM焼きしてくれてそれもいくら、というビジネスモデルのようだ。

たくさんデジタルデータで残したければたくさんの種類を商品として買わなければならないビジネスモデルって モノ持ちたい人にはマッチするけれども持ちたくない人には正直邪魔にしかならないと思うのだけれども。

子守

妻が髪切ってもらっている間ずぅーっと子守。 さいわい次男の機嫌はよかったのでほとんどの時間は簡単にあやすだけでよかった。

食べもの

食べものは重要だ。

◯◯食堂

都内を中心に○○食堂(地域名が入る)という日本食を出す食堂がある。24時間営業のところもあり深夜や未明でも日本食の惣菜を選んでいくことができる。 今日行ったのは東新宿にあるところで、フジオフードシステムが運営している まいどおおきに食堂 らしい。

この年齢になるまでは、なんで外で日本食食べる必要あるんだと思っていたのだけれども、逆だった。 安価(1000円弱)でほぼいつでも日本食にありつけるのはすごい。

町の定食屋をみてみると、最近は揚げものを中心に据えているところもおおい。 好みの変化や調理のしやすさも関係しているんだろうけれども、食べたいものと食べたくないものが盆のなかに同居していることもままある。

対して、あの食堂はそもそも惣菜の選択式なのでそのときに食べたいものだけで選ぶことができる。 揚げ物を食べたくないときは冷奴と鮭の塩焼とかを選んでもいいのだ。

昔はそんな店あったのだろうけれども最近のパッケージングされた食事処ではなかなか得られない利便性ではなかろうか。

ときわ

打ち合わせのあと家族と合流し町屋のときわへ。久しぶりの顔見知りの店員さんと会ったりした。 時間はみなを老けさせるけれども、街はそんなに変わらないなーという日。

名前のない日記

日付先行で日記を書こうと思ったら、そもそもタイトルを決められないことが分かった。 あとDropboxに同期されている日記ファイルを直接編集できるよいアプリを知らなかった。

ちょっとやり方は検討の余地がありそうだ。

映画

ガルパンはいいぞ。

今日は数少なくなった上映館の一つ、新宿のバルト9に行ってきた。 まだ2回目なのだけれども立川との音響の違いを感じとれなかった。

いいかげん本編を観たくなっている。

やる気

やる気は出枯らしになったあとでも昇華して結晶を抽出できるか否か。 その答えを求め探検隊はアマゾンに飛んだ。

辛いもの

辛(から)いものな。 家族と食事をしているとどうしても子供に合わせるようになり、唐辛子の効いているものとかを口にする機会がめっきり減っていた。 で、どうにも辛いものを食べたい気持になって、夕食は大久保で純豆腐を食べてきた。

うん、これくらいの普通の辛みがちょうどいいかんじ。 すごく辛い玄人向けメニューではなくて普通に食べる程度の辛みのものがよい。

食べたあと身体があたたかくなってきて、いい気持ち。 食べたくなったら行くようにしよう。

燃え尽き症状

開発合宿から帰ってきて全体的にやる気がない。

かのPRには反応があってテストが通らないと報告をうけたので、その調査と修正をし今にいたる。

さて、仕事の進捗どうですか?

熊本らーめん

家の近くに結構本格的な熊本らーめんを提供してくれるお店がある。 昨年末から行っていなかったので久しぶりに家族で行ってみた。 相変わらず手加減のないマー油と固めな茹で加減の麺でした。

長男がよく食べ追加で餃子を頼むにいたる。

帰ってきたら2時間コース。

さて、仕事の進捗どうですか?

さて、シゴトノシンチョクドウデスカ?

映画でも観たい(現実逃避)

というかあれですよ。

ガルパンはいいぞ。

気になるものがあると集中力が削がれるので明日でも行ってきます。

そういえばガルパンが4DXで2月からやるという情報を知って、ほえーとなっている。やるんだあれ4DXで。

日記の運用について

一日の最後にエントリを書くようにしていたけれども、 その日がネタ的に濃ければ濃いほど、そのまま疲れて寝てしまうことが発覚した。

あくまで日記を書ける環境にいるとき限定だけれども、 今後は当日の最初に空ファイルを作って都度内容を更新していくスタイルにしていきたい。

むしろファイルシステムにファイルを書いていくやり方はいいのだけれども、モバイルとかで更新できないのは不便な気持ちになってきた。 ファイルはDropboxで同期されているので、あとはモバイル上のエディタでとりあえず更新していくってのがいいのかな。 ちょっとやってみよう。

感情や気持は書きだすのがいいですよ

知り合いにはとりあえず言っているのだけれども、 本にも書かれている方法なのでたぶん間違ってはいないだろうというものがある。

思ったこと、荒ぶった感情とかも、気にしなくさせるのは実はスマートじゃない。 あたまのなかではゾンビスレッドのようにリソースを掴みっぱなしにしている。 よって何かしらの方法でそれを解消しリリースしていったほうがよい。

王様の耳はロバの耳といえるような穴があればいいが、人に見られないノートとかがこれに対応する。 とりあえず書け思ったこと感じたこと全部書け。

書いてみるとすっきりはするし、書き出したことで第三者の視点から問題を整理することもできる。 人間覚えていながらその細部を検討するって芸当はなかなかできないのよ。 外部の信頼できる記憶装置を利用して頭のメモリは作業領域として使いませう。

開発合宿最終日

あっというまの開発合宿最終日。

昨日に続きGraphillionのPython3移植作業を行っていた。

ぶじテストコードを全て通し、toxを導入して、いくつかユースケースを通してまあ問題なさそうだと判断したのでPRを出した。

で、さらにユースケース通してたら何かエラーがでる… しかもC++レベルでのエラーで、エラーになるケースとならないケースが存在するとかいやなかんじ。 しょうがないのでC++のコードを読みつつ作者の気持になって考える作業をし、 なぜここで , を含む文字列を弾いているのか、ここになぜ , が入るのかを考えること数時間。

pickleおまえか

pickleのプロトコルがアップデートされ効率的なバイナリプロトコルになっているのが問題だった。 つまり , と解釈されるバイナリ表現になったときにC++レベルでは不正な文字列として弾くようになっていたというオチ。 なるほどね。

そんなこんなでPRを更新して合宿終了。

帰りのバスではぼーっとして、紹介してもらったそば屋によろうかどうか考えるような考えないような時間を過ごしていた。

そば屋

上田のそば屋は食べきれないほどのそばを出さないといけない呪いにでもかかっているのだろうか。

帰りのバスを途中下車し紹介してもらったそば屋に結局行った。

ここのそば屋では並盛の上に中盛りがあるという…という瑣末なことはおいといて、 普通盛りで、なんで、桶ででてくるかな。 細麺で、コシもしっかりしてて、そばの風味もちゃんとしてるのに、 量が多い。

他のメニューの店ではここまで量多くないのに、なぜそば屋…

完食しました。

お土産に栗おこわ

これは相変わらず。

今回は冷凍の栗おこわも選択し長い期間楽しめることを目論んでみた。

Sphinxの検索にはMecabがよい?

今年導入したばかりのOktaviaなのだけれども詳しい人に聞いてみると、 Mecabがいいよ、とのこと。ふむー。

開発合宿

外は雪、滑らないので開発するしかないじゃない。

何やるかちゃんとは決めていなかったけれども、結局懸念事項だったGraphillionのPython3対応をすることに決めた。 これは過去何回かCythonで移植にトライしていずれも挫けた過去をもつ案件で…Cythonで書くの本当に面倒なのだよな…

今回は手段を変え、直接C APIレベルでの移植することに。

まあ、そのままコンパイルすると通りませんよね。

とりあえず移植のためのC APIレベルでの差異について調査。

おおきくわけて

  • 文字列の変更(ユニコードが標準の文字列になりバイト文字列が導入されるするようになった)
  • モジュールの定義に使う構造体が変わった
  • メソッドの定義に使う構造体が変わった

幸い先行者が何名もいて、情報には困らないレベルだった。 あ、構造体の定義が変わったのはコンパイラさんに教えてもらったのだったな。

あと sixfuture に対応するC APIレベルでの互換ライブラリをノウハウごと公開してくれていたのでそれを利用した。

py3c

作業してる最中に自分のCやC++の技能レベルが下がっていないことを確認して驚きつつ、 ちまちまと作業やパッチ送ったりなんなにしたらコンパイルは通るようになった。

まあそこからも長いよね。 コンパイラさんの指摘がなくなったのでテストコードを流しつつ、失敗した箇所の理由を特定し、 デバッガ仕込むの面倒だったのでprintデバッグでPython2.xとPython3.xでの挙動を確認しつつ原因を究明していった。

そんなこんなでテストコードの8割くらいは通るようになった。 Cythonで頑張ってたときはそもそもコンパイルが通らなかったのですごい進捗だなあ。

あいかわらず美味しいペンションのご飯をたべつつ早めの就寝。

大根おろしのみぞれ鍋と馬刺しって、もうご馳走じゃないですか。

まだ時差ボケしてた。

そば

合宿初日、いつもの刀屋で昼食にそば。 温泉宿の朝食がおいしくて米を食べすぎていたので普通より少ない中に。

行きのバス

15分くらい走ったところから記憶がない。 ルートが変わっていたらしいです。

ペンション

雪は相変わらず積もっててやっぱり寒い。 今回は滑らず持参した本を消化しつつなんかするつもり。

VPNでSSHが繋がらない…仕事がちょっと残ってたのでテザリングでしこしこ作業してました。。

ハイパフォーマンスPython

去年のPyConJPで原書が展示されていたやつ。 去年のうちに翻訳本が発売されており、買ってはいたのだけれども読む機会がなく今日にいたる。 Pythonに関する最適化をメモリのアロケーションとかからクラスタリングまで網羅的に紹介する本でした。 あー、わたしが書いてもこんな紹介するなと思ったかんじでした。 これは…対象読者がすくない系の大変な本だ。

紹介の方法が具体的なコードがあるところが多数で、使い方の導入になっているのがよかったです。

説明だけになっているところは…あまり時間がとれなかったんだろうな…。